カテゴリ:Wide Angle( 1 )
Normal Angle Fuck Off
最高だ、フローラン・ダバディ。コナミのWE8LEの大会に参加したダバディ氏、その大会でのルール「ノーマル遠」視点に憤り、サッカーファンならワイドだろが、と自身のブログで吼えまくっている(怒りに我を忘れるあまり、8LEを9と書き間違えているが)。
worsdcupでは、120%ダバディ氏支持の姿勢を打ち出すとともに、引き続きワイド普及運動を進めていきたい。以下、心より賛同できる素晴らしい記述をいくつか抜粋。

「ゲームという世界より、サッカーを本当に愛している皆さんは画面「ワイド」でやっていますし、やるべきだと思います。ヨーロッパのWEファンも、南米でも、そして日本の私の友達もみんな(テレビが小さくても)画面のカメラを一番遠くにして「ワイド」でプレイしています」

「(「ノーマル遠」だと)サッカーの美しい幻想が消え、普通のビデオ・ゲームになってしまいます」

「「ワイド」なら、サッカーっぽくちゃんとボールをまわしたり、後ろから組み立てて、やり直したり、レーダーの見ずにサイドチェンジや第三選手のおとりの動きを利用します。全体的のスピードも遅くなる分で、とても戦術的なゲームになります。遠くからの選手の動きもビジュアル的、「ワイド」ならリアルに見えます。ゲームを選ぶか、シミュレーションを選ぶかという選択ですね。私はもちろんサッカーというスポーツに近いゲーム、いわゆる現実的なシミュレーションをなによりもを求めていて、ゲームのためのゲームを求めていない」

「日本のサッカー文化の発展は絶対『WE』の「ワイド」画面の使用を通じてからでも始まります」



抜粋し過ぎ。
しかし、そうなのだ。ワイドでなければまともなサッカーなどできはしないのだ。
なぜなら、ノーマル視点では、複数選手の動き出しを意識したチームとしての戦いが不可能だからである。

サッカーという競技の最大要素がゴールを奪うことにあることは言うまでもない。が、そこに至るためにいかにしてスペースを突くか、またいかにしてスペースを埋めるかという点もそれと同じぐらいに大きな要素であると言ってもいい。(完全にケアされている状態、抑え込まれた状態を個人の力のみで打開する場合も大いにあるが、その場合にでも大抵はスペースを突く動きがからむ。サッカーが、個人と個人ではなく、複数人と複数人が対する競技であるが故である。)

プレイヤーAがプレイヤーBからのパスを相手ゴールに背を向けて受ける。相手DFはAを振り向かせないようにケアに向かう。AはポストとなりワンタッチかツータッチでBへはたく。そのボールを受けたBは、相手DFがAのチェックにつられたために出来たスペースへ走りこんでいる3人目のプレイヤーCに前を向いた状態でパスを送る。ウイイレではこのようなサッカーの基本的な崩しをやろうと思えばできる。
ワイド視点だからこそ、こうした3人目の動きまでを意識した崩しのプランを瞬時に頭に描き、そのようなプレーを選択することができるのである。あの大雑把なナビ・レーダーだけが頼りのノーマル視点では、それは不可能である。

また、視野が確保されているから、スペースを見つけ、パスを出すふりをして、そのスペースへ自分で進入していくことだってできる。視点が近いと、ドリブルを選択したとしても、周囲の状況をほとんど把握できないため、闇雲に眼前の敵をかわす以外に術がない。
だから、「パスはともかく、ドリブルはワイド視点よりノーマル視点の方がやりやすい」などと言っている人のサッカー観を私は疑うのである。視野が確保されて、どこにスペースがあるかを把握できる方がドリブルもしやすいに決まっている。
パスを通されることへの恐怖があるからこそドリブルは活きるのであり、またその逆に、ドリブルで抜かれる恐怖があるからからこそパスは活きるのだ。これは、よく聞く「ウイイレはドリブラー向けでパスサッカーには向かない」などと言う声がいかにナンセンスなものであるかを証明するものでもある。ドリブルで勝負できるようになればなる程、より面白いパスサッカーが可能になるのだ。
この点においても、ノーマル視点よりもワイド視点の方がふさわしい。

ディフェンスについても同様である。
ワイド視点であれば、マッチアップするプレイヤー以外も見えるため、カバーリングの選手とアタックの選手を常に意識し、三角形を保ちながらのディフェンスがしやすい。逆サイドのケアもできる。数的優位を作らせないよう気を配りながら、マークの受け渡しができる。ラインの統率が図れる。
一方の進路を切る。パスコースを切る。進入してきた敵のボールフォルダーにアタックにいった選手がプレスして追い込み、カバーリングの選手に獲らせる。カバーリングの人数に余裕がないので、アタックにいく選手はディレイさせる。カバーリング人員に余裕がある状況であり、置き去りにされたとしてもリスクは少ないので、一発で奪いにいってみる。などなど。こうしたプレイができるのもワイド視点なればこそである。
視点が近くなればなるほど、そのようなディフェンスがしにくくなり、ボールを持つ選手を無闇に、無計画に追い回すことに終始してしまうのである。

これらの動きの全てが、ナビ・レーダーでは補いきれないものである。
ナビは大きな動きを視野の一部に捉えるぐらいの働きでしかない。
これに対し、俯瞰するよりも視点が近くにあり、先の読みにくい状態こそがリアルなサッカーの体験に近いという意見もしばしば聞かれる。ダバディ氏のブログのコメント欄にもそのような趣旨のコメントがあったので以下に引用する。

~確かにワイドでやれば視界は広いのでパスコースは広がる。しかし、何のために下にナビがついているのだろうか。あれを見ればフリーの選手はほとんどわかる。俺にとってもっとも痛快なのは『対戦相手の視界では見えない選手にパスを送る』こと。ジダンのプレーが何故すごいのか。それは予測ができないプレーを突然のごとくやってのけるからだ。それと同じでウイイレでも相手が予測できないプレーはできる!よってワイド反対!!見やすいよりも見にくいほうが絶対おもしろいって~


このコメントに対しては、ダバディ氏は以下のように回答している。

~ナビを見るなんてサッカーっぽくない!! だったらVIRTUA STRIKERでいいよ。または他のアーケード・ゲーム。そしてジダンのことは違うと思う。ジダンこそが頭を上げて、周囲を確認してからパスを送る。当然ジダンにナビがついてない!ジダンに魔法ではなくて、視野がある!その視野はまさに「ワイド」。~


ジダンにあるのは魔法ではなく視野。そしてそれこそが「ワイド」。全く持って同感である。
ただ、ワイド反対を主張する人の言っていることも分からないでもない。恐らく、実際にサッカーをやっている時に確保できる視野に近い方がリアルで楽しいということなのだろう。ワイド視点よりノーマル視点の方がドリブルがし易いなどと言っている馬鹿とは全く違う理由でノーマルを推奨していることもよく分かる。
でも、私はこれに大いに異を唱えたい。それは以下のような理由による。

実際にスパイクを履き、汗をかいて行うサッカーは、チームの一員としてプレーするものである。
そこには、チームの戦術があり、共通理解があり、アイコンタクトがあり、手を挙げての合図があり、声での指示がある。参加する個人はチームの11個の歯車のうちの1つとなり、シュートに持ち込むためのドリブルだけでなく、スペースを生むためのドリブルもする。ボールを持たない時の無駄走りもする。ポストでつぶれる動きをし、自分ではなく味方に打たせるシュートコースを空けるためにディフェンダーの進路を巧みに遮ったりさえするのである。
チームとしての戦いがしにくいノーマル視点からはそれらの要素が欠落しがちである。
これがワイド視点になると、複数人数の動き出しを意識できるため、あたかも共通理解のあるチームのように動かすことができる。複数選手を見渡し、動かせる広い視野が、チーム戦術、アイコンタクト、手を挙げての合図、声での指示といったものを補完するのである。
そもそも「ウイニングイレブン」はナムコの「リベログランデ」のように一人の選手だけを操作するようなものではなく、チーム全体を操作して戦うものである。だから、チーム全体を見渡せなければ成立しないものなのだ。
このような理由で、私は実際にスパイクを履いて行うサッカーの要素をより多く持つのは、ノーマル視点よりワイド視点であると主張するのである。
つまり反論した人のサッカーは一見リアルのように見えて、その実はおよそリアルとは程遠いものなのだ。そこにあるのはサッカーの要素のほんの一部分でしかない。この方が感じている「おもしろさ」は、サッカーの面白さとは別物と言っていいだろう。

ダバディ氏はノーマル視点を「サッカーっぽくない」と言っているが、私はそれどころでは済まないと思っている。
「サッカーにならない」と言ってしまいたい。
http://dabadie.cocolog-nifty.com/blog/2005/03/we9.html
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by sporting_emoto | 2005-03-29 21:36 | Wide Angle